【おしらせ】スマブラ for 3DS/Wii UまとめWikiはシリーズ全体に拡張しました。
詳しくは、大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U まとめWIKI・シリーズ統合Wiki化‎をご覧ください。

【おしらせ】ログインをしていないと編集に失敗する不具合を修正しました。

ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ

提供: 大乱闘スマッシュブラザーズWiki
移動先: 案内検索
執筆の途中です この項目「ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ」は、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。

『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(Super Smash Bros.)は、1999年1月21日に任天堂より発売されたNINTENDO64用対戦アクションゲーム。大乱闘スマッシュブラザーズシリーズの第1作目。公式が使っている略称は『スマブラ64』。

開発経緯[編集]

格闘ゲーム竜王の対戦時の画面。背景は竜王町の風景。
竜王町の風景以外にも幾つかの背景が用意されていた。これはその一つ。

HAL研に入社以降ずっと『星のカービィ』シリーズのディレクターを担当していた桜井政博が、『星のカービィスーパーデラックス』完成後に初めて違うことをして良いと言われ、4本のオリジナル作品の企画書を書いた。その中の1本、1996年の10月頃に上げられた企画「4人同時対戦可能ダメージ排除型バトルロイヤル格闘」[1]がスマブラの原型となるものであった。

1996年の11月頃には桜井政博、岩田聡、サウンドクリエイターの3人という少人数でテスト版の制作が開始された。仕様、デザイン、モデリング、モーションを桜井政博が担当。岩田聡は平日は64版『カービィのエアライド』のプログラムをし、休日に桜井政博から渡された指示書に従ってプログラムを書き上げるというほぼ二人三脚の体制だった。ファイターは最初、おはじきから腕が生えたようなもの[2]だったが、これでは製品としては魅力に欠けるとの判断で、キャラクターを作ることになり、ひとまずは「ペプシマン」のような見た目の簡素な人型のモデルが作られた。この時点ではまだ任天堂キャラクターを使用する構想は無かったが、製品版の基本的な仕様は既にほぼできていた。ゲームの背景にHAL研究所がある山梨県竜王町の風景写真を使っていたため『格闘ゲーム竜王』のコードネームがつけられた。

1997年の5月のゴールデンウィーク、HAL研は任天堂の宮本茂に、桜井政博が書いた4本の企画書の中から、格闘ゲーム竜王と、アクションアドベンチャーゲームのテストバージョンのロムのプレゼンをした。そこではアクションアドベンチャーが採用され、格闘ゲーム竜王は一旦はお蔵入りとなった。だが、後に『カービィのエアライド』の制作が仕切り直しとなり、HAL研はまだNINTENDO64でソフトを1本も出せていなかったこともあり、「すぐに作れるソフト」ということで格闘ゲーム竜王の企画を復活させた。

使用するキャラクターは様々なものが検討された末、「家庭用オリジナルの対戦格闘ゲームで、これまでヒットしたものはあまりない」、「64ソフトのラインナップにニュース性を持たせること」、「他のゲームに真似のできないセールスポイントがあること」といったことを考えた結果、任天堂キャラクター達を使用することに決まった。それ以外では、有名漫画家を起用することや、HAL研社内で作るといった案が検討されていた。

この案は構想段階で宮本茂に却下されたが、HAL研は無断でマリオ・ドンキーコング・サムス・フォックスだけが使えるテストバージョンを作成し、それを宮本茂に見せる作戦に出た。1997年末、そのテストバージョンに触れた宮本茂の評価は良好で、HAL研はそれに任天堂キャラクターを使用する許可を得た。

発売前評判[編集]

現在でこそ任天堂のビッグタイトルである大乱闘スマッシュブラザーズシリーズであるが、初代の発売前の評判は、ダメージ蓄積などの前例の無いシステムの理解がされなかったり、キャラクターに頼った底の浅いゲームという誤解を受けることがあって、非常に悪かった。

桜井政博は悪評を払しょくするため、自らがスマブラを解説する公式WEBサイト『スマブラ拳!!』を開設したり、ビデオを作って雑誌社に配布(後にスマブラ拳の読者にも配布)した。そのような努力の甲斐あってか、スマブラは瞬間的な売れ行きで終わらず、ロングランを記録し、キャラクター人気に頼っただけのものではないことを証明した。

出典[編集]

  1. The 64DREAM スマブラ談
  2. 水口哲也と平林久和の東京ゲームラウンジ ゲスト:桜井政博 2002年7月17日放送 ニコニコ動画

注釈[編集]